ギゼル×サイアリーズ 著者:7_745様

 目を開けるとそこは闇の中だった。知らない間に陽は沈み、暗闇が世界を支配していたらしい。
 窓から差し込む月明かりが、ここが自分の部屋であることを映し出す。
 まだどこか朦朧とする頭を押さえ、サイアリーズは今の自分の状況を思い出す。
 ふと脳裏に蘇るのは傷ついた愛しい甥の顔。激昂を隠さぬ嘗て信頼していた戦友とも呼べる男。
 それを思い出すだけで胸が痛む。誰よりも優しい彼らを傷つけてしまったことに。
 自分は彼らの信頼や好意、そして今まで積み重ねてきたものを全て裏切り、今ここにいる。
 いや、彼らだけではない。「裏切り者」と、自分を罵る愛しい姪の顔を知っている。
 そんな彼女のために涙を流した姉にも近い存在であった、まだ年若い女王騎士を知っている。
 自分のエゴの為に倒れた妹のように愛していた少女を知っている。
 恐らく自分のせいで名も知らぬ多くの民が長い戦に苦しんだだろう。
 愛しい者達の気持ちを踏みにじり、ここにいる自分。そのあまりの身勝手さに笑いが出そうになる。
 けれどもう後には引けない。自分の手はもう汚れてしまった。
 自分の甥を慕っていた少女の父をこの手で殺し、左手に宿った紋章は夥しいほど腐った血を吸った。
 後悔はしていない。覚悟は彼らを裏切ると決めた時にもう決めていた。
 傷ついてなどいない。彼らの気持ちを踏みにじった時の方が今よりもずっと苦しかった。
 哀れみも共感もなくていい。彼らの笑顔を守れるのならばそれで。
 あの純粋な笑顔を腐った血で汚したくはなかった。無慈悲な選択を迫る未来を避けたかった。
 ――だから、後悔などしていない。
 それでも、汚れたこの手ではもう二度と彼らに触れられないであろうことだけは寂しかった。
 もっと頭を撫でてやれば良かった。抱きしめて愛していると言ってやれば良かった。
 もう二度と叶わぬ夢を頭の中で打ち消して、サイアリーズはもう一度ベッドに横になる。
 その時、ふと控えめに扉が開いた。
「おや、もうお目覚めになっていましたか」
「ギゼル……」
 部屋に侵入してきた男の名をサイアリーズは呼んだ。
 今ではもう慣れ親しんだゴドウィンの貴族服ではなく女王騎士長服に身を包む彼は、サイアリーズの知るギゼル・ゴドウィンとはまるで別人のように思えた。
「もう少しお休みになられたほうがいい。黄昏を使われたのでしょう? このままでは貴女の体がもたない」
「ハンッ、余計なお世話さ。それより、愛しの女王陛下にはついてなくてもいいのかい? 仮にもリムの旦那なんだろ、アンタは」
「女王陛下より今は貴女の方が心配です。彼女はこれしきのことで自分の心を折るほど弱くはありませんよ、貴女と同じように」
 彼はいつもと同じように淡々とサイアリーズに告げる。感情を表に出さないその姿がサイアリーズの記憶の中のギゼルと大きく食い違っていた。

 八年という歳月の長さを思い知らせるように。
「もうお体のほうは大丈夫なのですか? まだ横になっていた方がよろしいのでは?」
「別にこれくらいなんてことないさ。アンタに心配されるまでもない」
「そうですか、それは良かった。貴女が無事ならば私はそれで満足です」
「そりゃあたしが死んだら黄昏の使い手がいなくなるからね。黎明に唯一対抗できる手段を失うのは流石のアンタでも怖いってわけだ」
 そう吐き捨てるサイアリーズにギゼルは何も返さない。
 その態度がサイアリーズの癪に障った。自分の知っているギゼル・ゴドウィンはもうどこにもいないのだと思い知らされて。
「それより、さ……」
 その場の空気を取り去ってしまいたいといったふうにサイアリーズが口を開く。
「アンタにしちゃあ随分と下手なことやってるじゃないか。アーメスと手を組んで竜馬騎兵団を敵に回すようなことすりゃ
どうなるかくらい分からないほどアンタは馬鹿じゃないだろ? らしくもない…一体どういうつもりだい?」
「…サイアリーズ様ならばこの意味が分かると思っておりましたが」
 返答に一瞬の間があった。他の人間ならば気付かないほどの瞬く間。ただ、それは普段のギゼルから見ればあまりに不自然なものであることはサイアリーズには分かった。
 彼と一番親しい距離にいた自分だからこそ分かってしまった。
 そんなサイアリーズを見つめながらギゼルは彼女の左手をそっと手に取る。そうして、手の甲の黄昏の紋章をなぞった。
 その感触にサイアリーズがビクリと体を強張らせる。
「先ほど西の離宮の人間に話を聞きました。持ち主に力を与える代わりにその命を喰らう紋章、だそうですね。強大な力を得る代償とでも言うのか。……それでも」
 そっと、手の甲に口付けを。
「それを知っていたならば貴女に宿させたりなどしなかった。今でも出来るのならば強引にでも剥ぎ取りたいほどです。私の後悔があるとするならばそれだけです」
「…アーメスのことも竜馬騎兵団のことも全部アンタの策の内ってわけかい?」
 サイアリーズは振り払うように手を戻し、ギゼルを見据える。しかし彼からの返答はなく、その表情からも何も読み取れなかった。
「…一体どういうつもりだい? アンタは父親を裏切るような真似してるってことじゃないか。アンタ達の目的はファレナの武力増強で他国をも侵略して強い統一国家を作ることじゃなかったのかい?」
「父の理想はそうですね。もっとも、今ではその目的すらもすりかわっているようですが。太陽の紋章の力はその身に宿さなくとも影響を与えるほどに強力なものなのかもしれません」
「……答えになってないよ。あたしはアンタのことを聞いてる」
「私の答えなど貴女にはとうにお分かりでしょう。貴女はそれが分からないほど浅はかでもなければ愚かでもない」
「…っ」

 ギゼルの答えにサイアリーズの言葉が詰まった。
 知らなかったわけではない。勘付いてはいた。それでも、それを認めてしまえるほど自分は器用にはできていなかったし、確かな言葉が欲しかった。
 そんなサイアリーズの気持ちを見抜いてか、ギゼルは表情を変えぬまま口を開く。
「愚かだとお笑いになりますか? 唯一の肉親である父を裏切り、忠誠を誓う兵を裏切り、そして私は己の為に死んでいった者たちすら裏切っている。貴女の目に今の私の姿はさぞ滑稽に映っているでしょうね」
 声に少し自嘲の色が混じっていたのかもしれない。夜の闇に覆われるこの世界ではそれすらも隠してしまう。
「私は父の絶望を知っている。民の期待も知っている。戦場で散る命の儚さも、取り残された者の孤独すらも知っている。それを知っていてなおも裏切る私には人の血など流れていないのかもしれませんね。……それでも、捨て切れなかったこの罪深き想いを人は業と呼ぶのかもしれません」
 その言葉からこの男の深い深い絶望を垣間見する。母を殺され、狂っていく父を見つめ、全てを失った孤独の中で育てられた一途なまでの狂気と壊れた心。
 それでもこの男は狂ってなどいないのだ。完全に狂ってしまえたならばどれ程幸せだったろうに。
「…ッ、馬鹿だよ…アンタは…!」
「貴女がそんな顔をなさる必要などありませんよ。これは全て私が自分で決めたことです。貴女が責任を感じることなど何一つない」
 この男は、自分の大切な人たちを奪った時と同じ表情でこんなにも優しい言葉を吐く。
「大丈夫です。全てが終わった後、貴女一人でも国外に逃げられるよう手配してあります。もう黄昏さえ使わなければ貴女はファレナのことなど何一つ思い出さず幸せに暮らせるはずだ。前々代女王陛下の継承権争いのことも、今回の一件も全て忘れて」
「馬鹿言ってんじゃないよ、忘れられるはずなんてない。忘れる気だってない。それにあたしははなっから逃げる気だってないさ。あの子達を…裏切ってこの手を汚した瞬間から覚悟は決めてる」
「そんな覚悟など喜びはしませんよ、貴女の愛しい甥子さんも、そして私も。今は義兄上となられた王子殿下も、私の妻である女王陛下も、貴女の気持ちに気付けば貴女に生きて欲しいと願うはずです。どうしてもファレナを離れたくないというのなら貴女は王子殿下や女王陛下にこう言えばいい。『悪王に騙されていた』『太陽の紋章を利用した逆賊に操られていた』と。そうすればお優しい女王陛下と王子殿下は喜んで貴女を許すでしょう。貴女は悪の根源である元老院を潰した英雄だ」
「ハッ、そんなに上手くいくわけがな…」
「悪王自らの口から死の直前に言われた言葉ならば流石の王子殿下も信じて下さるでしょう。女王陛下の目の前で、彼女を救いにきた英雄に悪王は告げるのです。『私は貴方の大切な人を奪っただけでなく、紋章の力で操って悪事の手伝いをさせていたのです』と。そうして英雄が悪王を倒し、自分の志を完遂した貴女も英雄として帰る。物語は幸せな結末を迎えて終わりです。ファレナの伝説に残る美しい物語になるでしょうね」
「……アンタ、最初からそのつもりで…」

 自分の命でさえも駒の一つとして組み込まれた策を、彼はいつもと変わらぬ口調で淡々と語った。まるで一本の物語を読み上げるように。
「アンタ…馬鹿だよ…! そんなのアンタの幸せがどこにもないじゃないか…!」
「私は何度も告げたはずですよ、貴女さえ無事ならばそれで満足だと。私にとっては貴女が自分の志を果たし、生きて幸せになって下さる事が唯一の望みだ。これがエゴだと分かっていても捨てきれない。だからこそ人の業だと言ったのです」
 恐らく彼は自分の真意を誰にも告げないだろう。ただ悪王として死に、歴史に名を残す。そこに想いが介入する隙はない。
 歴史はただ無情に時間の流れと事実だけを残し、そこにある想いを抹消する。彼の想いも誰にも知られぬまま消えていく。
 ただ、自分の心にだけその存在を残して。
「本当はこんな下らぬ話、誰にも話す気などなかった。全部貴女が私を困らせることばかり言うからです。だからせめて」
 言葉に篭る真剣な声音。夜の闇が震える。
「何を犠牲にしてでも、貴女だけは生きてください」
「ギゼル……」
 こんなにも優しく真摯な言葉を言う男が悪王になると言うのか。歴史は無情にこの優しさも想いも踏みにじるというのか。
 八年前と変わらぬ不器用さを持ったままの彼をサイアリーズは抱きしめる。けれどそれはすぐに振り払われた。
「貴女に同情されたくて話したわけではないですよ。あくまで貴女を納得させるためです。私は貴女に同情されるほどみじめでありたくはない」
「同情でこんなことしてやれるほど安い女じゃないよ、私は」
 ギゼルの目が一瞬驚きで見開かれる。その表情は普段見る彼の表情よりずっと幼く、八年前の面影が宿っていた。サイアリーズのよく知る顔だった。
「アンタ…この八年で変わったと思ってた。いや、実際変わったね。前みたいに素直じゃないし、いい子じゃないし。それでも…馬鹿みたいに不器用な辺りとか全然変わってない」
「褒め言葉として受け取りづらい言葉ですね」
「そうだね、アンタは馬鹿だと思うさ、実際。でもね、あたしはアンタのそういう不器用なとこ、気に入ってたよ」
「貴女だって不器用だ。もっと上手いやり方は幾らでもあっただろうに、すぐに自分が憎まれ役を買ってでようとする。汚れ役など、貴女がする必要はどこにもなかった。もっとも、貴女がこちらに来て嬉しかったことは否定しませんよ。貴女がこちらにきて私がどれほど嬉しかったか…」
「あれはあたしがするしかなかったんだよ。あの子らの手を汚させたくなかった。あの血を血で洗う争いの辛さを知ってるあたしらで決着をつけるべき問題だった。同じ思いをあの子達にして欲しくなかった。子供に汚れ役を押し付けるなんざ大人として最低だからね」
「貴女はやはり戦場に出るには優しすぎる。貴女の優しさはいつか貴女自身を滅ぼしそうで、心配ですよ」
 ギゼルの言葉を聞いてサイアリーズがどこか自嘲気味に笑う。
 そしてその首筋にそっと腕が回され、彼の耳元で囁くように彼女は言った。

「アンタにだけは教えといてやるよ。あたしの体はね、もう長くないんだ。黄昏のせいだろうね。自分でも分かるよ、ガタがきてるのが」
「…まさか。あまりに早すぎる」
「黄昏の紋章ってのはそういうもんみたいだよ。でももういいさ。あたしの役目は全部終わった。後はあの子たちと優秀な軍師様が何とかしてくれる。裏切り者が死んで物語は終わりさ」
「嫌だ」
 絞り出すような声。サイアリーズはそれに驚き思わずギゼルを見つめた。
「私は、貴女を失いたくはない」
「わがまま言うんじゃないよ。あたしは満足してる。アンタがそんな顔する必要なんてどこにもない」
「それでも私は貴女を失いたくはない。どんなことをしてでも」
「ギゼル……」
 感情を表に出さない彼にはしては珍しいほどのわがままであった。サイアリーズはもう一度その体を抱きしめた。
「ごめんね…でももう無理なんだよ。だから…あんたにあげるよ、あたしの全部を。あたしはきっとあんたの為に死んでやれないから…今の内に全部」
「哀れみなら必要ありません。私は…」
「さっきも言ったろ、同情で抱かれてやるほど安い女じゃないってさ」
 ギゼルの言葉を遮り、サイアリーズは挑発するかのようにその金色の髪を撫で上げる。短く切り揃えられた髪が指先を擽る。
「最後なんだから女の悦びってもんを知っといても悪くはないだろ? でもね、あたしだって誰でもいいわけじゃない。賢いあんたならこれだけで意味は分かるだろ?」
 二人にそれ以上の言葉はなかった。お互いに分かっていたのかもしれない、これが最初で最後であると。
 サイアリーズの華奢な体をベッドに横たえながらギゼルは問う。
「本当にいいのですか、私で。私は貴女の大切な姉夫婦の命を奪った人間ですよ」
「嫌なら殴ってでも止めてるさ。…それに、あたしだってあんたと似たようなもんだしね」
 その顔に一瞬浮かんだのは後悔か未練か。それに気付かないフリをする、お互いに。
 ギゼルの指先が器用にサイアリーズの衣服を脱がしていった。元々薄着の彼女は脱がすのにそう手間がかからない。
 形の良い乳房が露となったところで、サイアリーズはギゼルのその手を止めた。
「…サイアリーズ様?」
「そ、その…ちょっと待ってくんないかい? あ、あんた相手にこういうのもなんだけどさ…流石に恥ずかしいっていうか……」
 サイアリーズの顔は年頃の少女のように真っ赤に染まっていた。声が小さく震えている。
「まだ何もしていませんが?」

「分かってるって! だから、その、心の準備っていうか……」
「つまりはいまさら怖気づいたと」
「ち、違う! まったく、何であんたはそういう言い方しかできないかねぇ。昔はもっと素直で可愛げあったのに…」
「貴女を失って学んだんですよ、人の心の操り方も、自分の感情の御し方も。それでも結局貴女に焦がれる気持ちだけはどうにもならなかった。それが私の最大の罪です」
 愛という感情は時として人を狂わせるのか、それとも人が狂うから愛が生まれるのか。
 刹那の時でしか交わることを許されない二人にはそれが分からなかった。
「不思議なものですね。私は母を失い、貴女をも失ってから何かを失うことも、自分が死ぬことさえも怖いとは思わなかった。むしろ何の罪もない優しかった母が何故殺されねばならなかったのかと、未熟で無力な私は理不尽な暴力に世界を恨み、呪いさえした。今でも忘れてはいませんよ、幼い私の目に焼きついた血まみれの母の姿を。彼女の断末魔も、私を責めるような恐怖に歪んだ表情も、まるで人形のように冷たくなったその体さえも」
 淡々と、いつもと変わらぬ口調で彼は言葉を紡ぐ。恐らく今まで誰にも話してこなかったであろうことを。
「もう二度と微笑むことのない変わり果てた姿となった愛していた母と、その死をきっかけに変わっていく尊敬していた父の姿に、まだ幼い私がどれほど絶望し、孤独を味わったことか。母が死ぬより私が死んだ方が良かったのではないかと何度も何度も繰り返し思ったほどです」
 その言葉から、少年の孤独と狂気が垣間見する。幼いその心に与えられた憎しみと絶望はどれほどか。
「人の愚かな欲深さにより母が暗殺されたことで父は変わり、幸せだった時間は一瞬にして崩れた。人とは簡単なものですね、狂うきっかけなんてほんの些細なことでいい。母を殺したのは当時の私よりもずっと幼い、まだ十にも満たない少年でした。親の顔を知らないどころか人殺しの方法しか知らないほんの小さな少年が母を殺したと知った時の私の気持ちなど、誰にも理解できはしないでしょう。悪として憎むには、彼はあまりに幼すぎた」
 そうして行き場のなかった憎悪や哀しみが彼を歪ませてしまったのか。
 彼の母を殺した少年が、ギゼルの側に仕えるドルフという青年だということをサイアリーズは知っている。そして、そのドルフがどれだけこの愚かな親子を慕っているかということも。
 親の仇であるその少年に彼はどのように接したのか。恐らく知っているのは本人たちだけだろう。
「今思えば私はこの頃から心が壊れていたのかもしれませんね。父が幽世の門を引き継ぎ内乱の計画を立てていた時も愚かだとは思ったけれど、どうでも良かった。いっそ私から全てを奪った元老院と王家がお互いを徹底的に潰しあって全て壊れてしまえばもう悲劇は起こらないとすら思った。やり方がどうであれこの不安定で狂ったファレナを変えることができると」
 ギゼルの指先が愛しげにサイアリーズの頬を撫でる。彼女は擽ったそうに身動ぎした。
「別に失敗して自分が殺されても構わなかったし、姫様が太陽の紋章を宿すことができて焼かれても構わなかった。私はただどう転ぶか見て楽しんでいただけです。どう転んでも今のファレナがより強い力で結ばれるのは分かっていたし、母だけでなく貴女さえも抗えない理不尽な力によって奪われた時、私はもう他人に踊らされるよりむしろその逆であろうと決めた。何かを失い、涙を零すような弱い自分など必要なかった。私にはそんな生き方しかできなかった。……けれど、今は貴女を失うのが怖いと思う」

 言葉に自嘲の色が混ざる。他人には分からないくらい密やかに。サイアリーズにだけ伝わる後悔の念が。
「想いというのは時として人を弱くする。それが業だというのならばあまりに罪深い。愚かだと思いますよ、人を信じることをやめ、多くの血を浴び、後戻りなどできなくなった今、こんな想いに駆られるなど。結局私は鬼にはなれなかったし、狂うことすらできなかった。ただ、愛する者を失うのが怖いと思うただの人でしかあれなかった。だからせめてこの想いは誰にも告げぬまま悪王として死に、貴女を生かそうと思っていたのに、貴女の太陽の如き眩い光は私のそんな部分すら暴いてしまう」
 絶望と憎しみですら切り離すことができなかった一途な想い。それすらもう叶うことのない彼の胸に浮かぶのはどんな感情であるだろう。
 けれどギゼルの表情は相変わらずいつもと全く同じものであった。そこから感情を読むことはできない。
「少し喋りすぎましたね。今のは忘れてください。貴女以外の人間に言うつもりもありませんし」
「…馬鹿」
 こうして最後に弱さを曝け出してしまったのは、お互いに先の運命が分かっていたからだろうか。
 皮肉な話である。理不尽な力で何かを奪われることを恐れ、人を弄ぶ側に回った彼が結局また抗いようのない力によって全てを奪われるのだから。
 自業自得という言葉がある。己の業を、己で得る。それもまた人の性なのか。
 抱きしめる腕に力が篭る。もう二度と触れることができないであろう、その存在を確かめるように強く強く。
「…私が母と貴女を失ってから、もう一度でも父や誰かに抱きしめてもらえたことがあったのなら、もっと早くにこうして貴女の体を抱きしめることができたのかもしれませんね。王子殿下のように純粋な気持ちで、貴女と二人で幸せになりたいと願えたかもしれない。けれど、全てを失った私にはそんなふうに純粋には生きられなかった」
 それでも、変えられない想いがあったのだ。夜の紋章から絆を切られた太陽の紋章に、黎明と黄昏という新たな絆が生まれたように、人の絆はどんなに消してしまいたいと思っていても決して消すことはできない。
 それゆえに人は争うのか。誰かを傷つけ、裏切り、哀しみを生んでも、自分の想いを守るために。それはなんと罪深いことだろう。
「サイアリーズ様、もうよろしいですか?」
「あ、ああ……」
 ギゼルの手がサイアリーズの豊かな胸へと伸び、彼女は一瞬身を固くした。
 それでも、今度は抵抗一つせずその体を明け渡す。
 ゆっくりとギゼルの指がサイアリーズの乳房を揉みしだく。柔らかくて、弾力のあるサイアリーズの胸がギゼルの指の動きにあわせて吸い付いて形を変える。
 意外なほど丁寧な愛撫にサイアリーズの吐息が熱くなる。
「…っは……ん…ッ!」
「感じておられるのでしたら声を出してもよろしいのですよ? その方が楽になる」
「馬鹿言ってんじゃないよ、あたしはそんな柄じゃ…ひあッ!?」
 カリっと、サイアリーズの乳首が甘噛みされた。

 顔を真っ赤に染め、唇を噛み締めて快感に耐えていたその口からついに艶やかな喘ぎが漏れる。
 その様子に満足したのかギゼルはさらにサイアリーズの胸を攻め立てる。
「んんッ、あッ、や、やめ…!」
「このように扱われるのは初めてなのですか? 私はてっきり愛しい甥子さんや新しく女王騎士となった男と毎日お楽しみかと思っておりましたが」
「そ、んなわけな…ふああッ!」
「とてもお可愛らしいですよ、サイアリーズ様。誇り高き王族の方でもそのような顔をなさるのですね」
 サイアリーズの反応を楽しむかのようにギゼルは刺激を与えられ、ツンと尖ったサイアリーズの胸の突起を執拗に攻める。
 舌先で転がされ、指先で捏ねられ、サイアリーズの体が快楽に跳ねる。
 まだ男を知らない彼女にはきつすぎるほどの快感であった。
「こんなにいやらしい体をした貴女がいまだに男を知らぬとは信じられませんよ。貴女はそこにいるだけで男の扇情を煽るというのに」
「ギ、ギゼ…あん、ああッ!」
 ギゼルの言葉に煽られながらもサイアリーズは乱れる。
 生まれて初めて味わう感覚に、彼女自身も翻弄され制御ができないでいた。
 ただなされるがままに快感に溺れ、理性を溶かしていく。
「ッ!? ギゼル、そこは…!」
 ギゼルの手がサイアリーズの下半身へと伸び、彼女は恐怖で体を硬直させた。
 まだ、誰にも侵入を許していない領域。ギゼルの指先が布越しに触れるだけでサイアリーズの体が震える。
「今更やめろなどと言われても聞けませんよ。手放す気などありはしませんから。誘ったのは貴女です。それに、貴女はここで引くような人間じゃないはずだ」
「…全部お見通しってわけかい」
 仕方ないねぇといった風に彼女は肩をすくめた。しかし、次の彼女の行動は予想外のものであった。
「まあ、ちょっと待ちな。あんたにばかりやられてるのは癪だ。一方的にやられるのは好きじゃないんだよ。今度はあたしの番さ」
 そう言ってサイアリーズは身を起こすと、おもむろにギゼルの下半身へと触れる。
「…サイアリーズ様?」
「へえ、アンタでもそんな顔するんだ。こりゃいいもの見た」
 一瞬驚いたような表情を見せたギゼルにサイアリーズはニヤリと笑みを向ける。
 彼の表情は変わらなかったが、サイアリーズの反応に内心舌打ちでもしていたのかもしれない。
「サイアリーズ様、ご無理をなさる必要はありませんよ?経験などないのでしょう? 貴女のお手を煩わせるほどではないと思いますが」

「いいから叔母さ…じゃなくてお姉さんに任せなって。経験がないって言ったって昔からハス姉に色々教え込まれてきたんだ。後でたっぷりいい思いさせてやんだから今はいい子にしてなって」
「今のようにすぐに自分が年上であることを主張するのも昔とお変わりないのですね。私と貴女の年の違いなどたかだか二つだけだというのに」
「アンタは昔っから自分が年下なの結構気にしてたねえ。昔はそのせいか随分と背伸びしようとしてたっけ。まあそんな所も可愛かったけど。今でも気にしてるのかい? なら教えといてやるよ。男ってのはね、女から見たらいつまでも子供みたいなもんなんだよ。なのにアンタときたら図体だけじゃなく中身も随分と大人びちまって…。素直なままでいてくれた方が可愛げがあったのにねえ」
「素直でいられるほど強くはなかったのです。貴女だって知っているでしょう? この国、いや元老院の腐敗した姿を。私はそこで育ったのです。いずれ国の未来を担う者として、幼い頃からずっと。そして母を失い、貴女を失った。素直でいられるほど甘い世界ではなかったのです、この国は」
 ギゼルのその言葉に、サイアリーズの胸に後悔が浮かぶ。
 八年前のあの日、彼を捨てずにいればまた別の未来があったのではないかと。
 後悔したところで何かが変わるわけではない。時の流れは誰しも平等に訪れ、歴史は事実を刻んでいくだけなのだから。
 だから今、自分にできることをするしかないのだ。いつか遠い未来で今のように後悔しないために。
 そんなことを思いながらサイアリーズはギゼルのものをその白い手で包み込む。
 処女である彼女はぎこちない動きでそれに触れた。扇情的な容姿とは逆に、彼女のその恥じらいの表情は生娘そのものであった。
 そのギャップがギゼルの欲情を煽る。あんなにも妖艶である彼女がまだ何一つ知らない、穢れなき存在であるということを深く実感して。
 サイアリーズはしばらくどこか怯えたようにギゼルのものを扱いていたが、慣れてくると今度はそれを自分の豊かな胸で挟み込んだ。
「…サイアリーズ様?」
「い、言っとくけど、下手でも文句言うんじゃないよ? あたしだってこんなことするのは初めてだから勝手が分からないっていうかさ…。ま、まあ何かヤバそうだったら遠慮なく言っとくれよ。お、男の体ってのは女のあたしにはよく分かんないし、どういうのがヤバイかよく分かんないから加減が分かんないっていうかさ…」
「そんな可愛らしい反応などなさらないで下さい。今すぐにでも貴女を壊してしまいたくなる」
「か、可愛いってあんた馬鹿かい!?」
「事実を述べたまでですが。私は貴女と出会った時からずっとそう思っておりましたよ。貴女がそれに気付かなかっただけで」
 ギゼルは最初こそ予想外の彼女の大胆な行動に少し驚いていたようであったが、冷静さを取り戻せばすぐに立場は逆転した。
 普段「美しい」や「色気がある」という賛辞を多く得ても、「可愛い」などという自分には似つかわしくない言葉を貰ったことが少ないサイアリーズにとってその言葉は予想以上に動揺を誘ったようだ。
 顔を真っ赤にさせしどろもどろになるサイアリーズの様子にギゼルの口元が自然と綻んだ。彼のそんな表情はもう何年も見られなかったものだろう。

「今の貴女はとてもお可愛らしいですよ、サイアリーズ様。普段の貴女もとても魅力的だが今はまた違った魅力がある」
「…もうアンタに言われると嫌味か皮肉にしか聞こえないよ。ちょっとは黙ってな。いい子にしてればいいことしてあげるから」
 そう言うとサイアリーズは挟み込んだギゼルのものをキュっと胸で締め上げる。柔らかく、弾力のある感触がギゼルの快感を促す。
 サイアリーズはたどたどしい動きでその豊かな乳房を上下させ、欲情を隠さないそれを扱きあげる。
 谷間から覗く先端に舌を這わせ、挟んだ部分は胸を交互に上下させて扱く。
 だんだんと慣れてくるとサイアリーズは擽るように積極的にそれを舐め上げ、乳房の動きを速めた。
 恥じらいながらも熱心にその行為に勤しむ彼女の姿は、そこから湧き上がる快感と共にギゼルの劣情を煽る。
「サイアリーズ様、もうよろしいですよ」
「そ、そうかい…?」
 ギゼルがそう言ってサイアリーズの顔を離させると、彼女はどこか不安そうな顔をした。
「や、やっぱり下手だったかい…? その…アンタのはまだ良くなってないんだろう?」
「そんなことはありませんよ。男を知らぬとは思えないほどに貴女は私を満足させてくれた。でも、これ以上続けられては貴女の綺麗なお顔を汚してしまいますから」
「別にそんなの構いやしないんだけどねえ」
「断りなく相手の顔を汚してしまうほど私は無神経でもなければ不躾でもありませんよ。それより…」
「キャッ…!」
 いきなり押し倒されて、サイアリーズは小さく悲鳴を上げた。それを自分でもらしくないと思ったのか、彼女は大慌てで口元を押さえて顔を真っ赤にする。
「続きはこちらで楽しませて頂いてもよろしいですか?」
 ギゼルの指が無遠慮にサイアリーズの下半身に触れる。しっとりと濡れそぼったそこは触れられるだけで微かな快感が走った。
「ず、随分とせっかちじゃないか…」
「貴女が煽るような真似をなさるのがいけないのです。それに貴女の方こそ、もう限界なのではないですか? こちらははしたないまでに私を欲しがっているように見えますが?」
「…ッ……」
 ギゼルの言葉にサイアリーズは羞恥で顔を赤く染める。ギゼルの言ったとおりそこは浅ましいほどに濡れ、更なる快感を待ちわびている。
 サイアリーズはその羞恥に耐えるように両手で顔を隠した。それを了承と取ってか、ギゼルは今度は布越しではなく直接彼女のそこに触れた。
「…ゃ…あ、あぁん、は…ッ!」
 ギゼルの指先がサイアリーズの中へと入り込み、その中をかき回す。もう既に大量の愛液で溢れていた彼女のそこはその度にグチュグチュといやらしい音を立てた。
「サイアリーズ様、分かりますか? 貴女のいやらしい場所がとても卑猥な音を立てているのが」
「…っ、馬鹿、そんなこと言う、な…ひあああんッ!」

 差し入れられた指の本数を増やされ、それがグイっと一気に押し込まれた。そのあまりの快感にサイアリーズの体が跳ねる。
 彼女はどうやら軽く絶頂を迎えたようだ。今までこういった行為とは無縁であった彼女にとってはそれすらも強烈過ぎるほどの快感。
 サイアリーズは恍惚とした表情で荒い呼吸を繰り返し、ベッドにその体を投げ出していた。それをギゼルが支える。
「サイアリーズ様、もうよろしいですか? いきますよ」
 サイアリーズはまだ強烈な快感に頭をぼんやりとさせつつも、入り口にギゼルのものがあてがわれていることに気付く。
 それにほんの少しの恐怖を覚え身を固くするが、その手がそっと握られ、幾分か安心した。
「大丈夫ですよ、加減はします。と、言っても途中でやめられはしないでしょうがね。私は出逢った頃から貴女が欲しくて欲しくてたまらなかったのですから」
「…地獄へいくならアンタも道連れにするから安心しな。だから存分にやるがいいさ」
「貴女と共に死ねるのならば本望ですよ。決して叶いはしない願いでしょうけど」
 ギゼルはサイアリーズの想いを知っている。そして、恐らく彼女はその想いのために死に、自分は共にあれないであろうことも。
 そんなギゼルの本心を見透かしてか、サイアリーズはキュっと腕をギゼルの背中に腕を回した。己の恐怖を隠すように。
 それだけでギゼルがいかに高揚するかなどサイアリーズは決して知りはしないだろう。
「…っ、く、ぁ…ッ!」
 ギゼルのものがサイアリーズの中に入り込む。狭い狭い中を切り裂くように。
 初めて受け入れる異物に、サイアリーズから小さく悲鳴が漏れた。
「サイアリーズ様、大丈夫ですか? 苦しくはないですか?」
「…ここで痛いからいやめろなんて言っても聞きやしないんだろ? 覚悟なんざ最初からできてるさ」
「貴女らしい言葉ですね。苦しかったり耐えられないほどであるのならば正直に仰って下さい。善処はします」
「善処ねえ…」
 ギゼルの言葉に何となく笑いを零したサイアリーズの体の力がほんの少しだけ抜けた。
 それを見計らってか、ギゼルのものがサイアリーズの中の微かな抵抗を突き破り、一気に奥まで押し入れられた。
「っ、ああああ…ッ!」
 悲鳴など上げるつもりはなかった。それでも処女の喪失はサイアリーズのそんな決意も吹き飛ばすほどだった。
 そんな痛みの中、涙だけは絶対に零さない辺りが彼女らしさだったのかもしれない。
「…サイアリーズ様、平気…ではありませんね。痛みは引かないでしょうがもう少しだけ我慢なさって下さい」
「は……あたしをなめるんじゃないよ…。こんなの…我慢できないほどじゃない…」
「そう言って貴女はまた無理をなさる。もう少し説得力のある顔をなさってから仰って下さい」
「悪かった、ね…。でも、あんただってそうさ…」
 微妙に変化のあった声音と、ほんの少し崩れた表情からギゼルが快感を得ていることはサイアリーズにも分かった。
 恐らく彼のこんな姿が見られるのはこの世界できっと自分だけだろう。

 こんなにも、切ないような表情をしたギゼル・ゴドウィンなど、きっと誰も知らない。
 そのことにほんの少しの優越感を覚え、唇にそっと触れるだけのキスを落とした。
 サイリーズの指先がギゼルの頬を撫でる。女王騎士の証である目元の朱をなぞり、その指先は唇へ。
 誘われるままに今度はギゼルの方から口付けを。何度も何度も深く、浅く、二人はお互いの唇を貪りあった。
「…ねえ、ギゼル」
 ゆっくりと、囁くようにその名を呼ぶサイアリーズ。
「今、幸せかい?」
 胸が苦しいとは、こんな感覚なのか。泣きたくなどない、けれど目の奥が熱い。
「貴女はやはり酷な人ですね」
 震える声で、返事を。
「許されないと分かってはいても、今このまま死ねたらどれ程幸せかと、思いますよ」
 時は止まらない。永遠など所詮は幻想だ。
 明日にはもうどちらかが死んでいるかもしれない。
 お互いに先の運命が分かっている二人はそんな未来さえも知っている。
 けれど、愚かにも思わずにはいられないのだ。
 この時が何故永遠ではないのかと。狂おしいほど切なく。
 サイアリーズはギゼルの胸にそっと手を伸ばす。心の臓に触れれば、自分と同じようにそれは早く鳴っている。
 彼を悪鬼だと言う人間がいた。それでも、彼の血は人と同じく赤く、その鼓動は切ないくらいその生を証明するのだ。
 何故同じ道を選べなかったのか。あの愛しい甥と同じ道を。
 星の巡りが人の運命を決めるというのならば今はそれを恨もう。
 互いに道を違えねばならなかったこの運命を決めた夜の闇とそこで輝く星達を。
「ギゼル…もう動いても平気だから……」
 サイアリーズが誘うようにその先を促す。ギゼルの顔を撫で、あの頃に比べ随分と精悍さが増したことを実感しながら。
「ひあッ、ああッ、くう…ッ!」
 ギゼルがサイアリーズの中で動き始めれば、サイアリーズの口からは喘ぎとも悲鳴とも取れる声が漏れる。
 口には出さなくとも、顰められたその表情を見れば彼女がまだ痛みに耐えているのがギゼルにも分かった。
 だからといって止められるはずもなく、ギゼルはサイアリーズの狭くて熱い中を蹂躙する。
 大量の愛液で溢れるサイアリーズの中は狭くともスムーズに動くことができた。
 熱く熟れるその中は自分の腰の動きにあわせ、きゅっときつく締め上げてくる。
 狭く、きつく吸い付いてくるサイアリーズの中はギゼルに強烈な快感を齎した。
 引いては突き入れる度漏れる彼女のその声にすら快楽は助長される。
「あ、あぁん、ひあ…ッ! ギ、ギゼ、ル…!」
 名前を呼ばれるだけで愛しさが込み上げる。どれ程この時を望んだだろう。どれだけの時間、この時を求めていただろう。

 明日には失われてしまうかもしれないこの温もりは、それでも今自分の腕の中にあるのだ。
「サイアリーズ様、もっと名前を呼んで下さい」
「ふあ、あ…ッ! ギ、ゼル…ッ!」
 彼女の奥までを貫きながら、自分の名を呼ぶ声に酔いしれる。
 何度も口付けを交わして、突き入れる度ぷるりと大きく揺れるサイアリーズの胸に愛撫をしながらギゼルはサイアリーズを高めていく。
 お互いに自分の立場も忘れ、本能のままに求めあう。今だけはファレナのことも、肉親のことも全て忘れていたかった。
 愛撫のせいか、サイアリーズの声に甘みが混じってきたのを確認すると、ギゼルは腰の動きを激しいものとした。
 女としての快感を知ったサイアリーズはもう荒々しい動きで貫かれても痛みよりも快楽の方が上回っていた。
「ん、ああッ、ひああッ! ギゼル…!」
「とても、お可愛らしいですよ、サイアリーズ様」
 サイアリーズのギゼルの名を呼ぶ声は甘いように感じた。ギゼルのその声音はほんの少しだけ優しいように思えた。
 錯覚でも、今の二人にはそれで十分であった。その錯覚すら愛しく思えるのだから。
 限界が近いのか、ギゼルがサイアリーズの奥を何度も貫けば、卑猥な水音とサイアリーズの艶やかな喘ぎだけが部屋を支配した。
「ギ、ギゼ、ルぅ……あ、ああぁぁあんッ!」
「…っ」
 サイアリーズが絶頂を迎えると同時にギゼルもまたサイアリーズの中で限界を迎えた。
 狭い彼女の中がギゼルの放ったもので満たされる。どくどくと注ぎ込まれる感触に、サイアリーズは体を震わせて耐えた。
「サイアリーズ様、お体のほうは大丈夫ですか?」
「あ、ああ…平気さ。心配されるほどじゃない。最初は流石にちょっと堪えたけどね。でもまあアンタの顔見てたらなんか吹っ飛んじまってね」
「私はそんなにも情けない顔をしておりましたか」
「ああ、随分と可愛い顔をしてたさ。そんなにあたしのことが欲しかったのかってね。あんたのあんな顔なんて初めて見た。と、言ってもあくまでいつものポーカーフェイスに比べての話だけどね。きっとあんたのあんな顔知ってるのはこの世であたしだけだろうさ」
「できればお忘れになって頂きたい限りですが、貴女の苦痛を少しでも和らげることができたのならばそれでよしとしましょう」
「…なーんか、予想以上に冷静だね。もうちょっと愛してる…! とか盛り上がる演出しようとは思わないのかい、あんたは」
「私の貴女への想いは何度も告げたはずですが」
「いや、だから何ていうかそういう淡々とした感じじゃなくてね…もっと熱くっていうか」
「貴女は本気で私がそのような真似をして面白いとでも思っているのですか?」
「……いや、確かに気持ち悪いだけだね。あーもう面白くない」
 サイアリーズはその様を想像して、はあと大きな溜息を吐いた。

 不貞腐れるようにベッドに横になろうとしたら、グイっと体が引き寄せられた。
 そのままポフリと彼の腕へと頭を乗せる形になる。
「へえ、ギゼル坊ちゃんも大人になったわけだ。あの頃とは違ってちゃんと女の扱い方も知ったようだね?」
「嫌でも大人になりますよ、子供のままでいることなど許されなかったのですから。私がもう少しだけ子供であったならば、今ここで貴女を攫ってどこかへ逃げていたかもしれませんね」
「……そうだね、あたしもあんたも大人になっちまった。昔みたいに簡単に逃げ出したりなんてできやしない。お互いに、背負ってるものも、譲れないものを増えちまったからね」
 全部捨てられたのならばどれ程いいか。そんなことを思っても口に出すような二人ではなかった。
 叶わない未来など決して口にしたりなどしない。それぞれ自分で選んだ道を歩んできたのだから。
「ねえ、ギゼル…」
 疲労があらわれたのか、サイアリーズの瞼がゆっくりと下りていき、その口調も夢心地に近いものとなる。
「あたしはね、今でも後悔はしてないよ、自分で選んできた道を。それが正しかったとは言わないけど、悔いの残らないように選んで生きてきたと思ってる。でもね」
 サイアリーズの目はもう閉じられている。胸がゆっくりと上下し、規則正しい呼吸が彼女がもう夢の世界へと落ちる寸前であることを示している。
「子供のあんたを…一度でも抱きしめてやればよかったって、それだけは今でも思ってるよ……」
「サイアリーズ様…」
 もう完全に眠ってしまった彼女を見つめ、ギゼルはふと思う。
 もしも8年前、彼女とそのまま結ばれていたならば、違う未来があったのだろうかと。
 一瞬考えた後、すぐにでもその考えを消す。もしもの話など好きではない。今ある現実が全てなのだから。
 次に目覚めた時、世界が彼女にとって優しいものであるように。
 そう願って、ギゼルはもう一度眠る彼女に口付けた。
 明日にはもう違う道を歩むであろう彼女に。
 せめて今が幸せであることを祈って。

 ソルファレナが陥ちる直前、彼女の死は訪れた。しかも自分の手によって。
 覚悟はしていた。それでも、それを噛み締めると思わず膝を折ってしまいそうになるほどに苦しかった。
 明らかな失策だった。これが間違った生き方しかできなかった自分への罰とでも言うのだろうか。
 皮肉なものである。それまで人を弄んでいたと思っていたのに、結局最後は人の感情が読めず、それによって敗れてしまった。
 人の情と業。これだけはきっと真の紋章の力ですら変えられないのだろう。そこに人の想いがある限り。
 人は意味なき存在ではない。どれ程無力であろうと、想いは時として歴史を動かし、世界を変える。

 それを証明したのはもうこの世界にはいない、愛する人だった。
 彼女は太陽の紋章ですら動かせなかった自分の心をいとも簡単に動かし、その想いを貫いて死んだ。
 けれどその死を悔いている暇はない。まだ策は完成していないのだから。
 泣いたりなどしない。胸を張れ。その命をかけて自分の志を果たした誇り高き彼女を愛した者として。
 たとえ歴史が彼女を裏切り者としか認めなくとも、そして己が悪王として死ぬことしかできなくとも。
 それでも彼女の想いは自分の中で生きている。それは真実だ。
「ギゼル様、反乱軍がソルファレナ城下に侵入したようです」
「そうか」
 ドルフが淡々と戦況を告げた。
 恐らく、後に英雄と呼ばれる少年はもうすぐこの太陽宮の玉座へとやってくるだろう。すべてを、奪還するために。
「ザハーク殿とアレニア殿は残られるそうだ。説得はしたのだが聞き入れてもらえなくてね…残念だ」
「ギゼル様、僕は」
「お前はもういい」
 ドルフの言葉を遮りギゼルは言い放つ。
「お前の役目はもう終わりだ。必要ない。ここにいても足手纏いになるだけだ。何処へなりとも行くがいい」
「ギゼル様」
 ドルフの声が少し揺れる。それでも普段の彼を知る人間ならば驚くような変化であった。
「僕の刃は貴方とお館様のためだけにあります。それ以外の意味など持ちはしない。覚悟などとうの昔に決めていました。貴方の為に使えない刃など意味がない」
「思い上がるな。お前の未熟な刃など必要ないと言っている」
 その声はほんの少しだけ強かった。ドルフの次の言葉を奪うくらいに。
「お前の刃はまだ未熟だ。完成には程遠い。その程度の刃で私を守るなどと…笑わせてくれる。せめて私を納得させるほどのものとなってから言え。それまで私の前に姿を見せてくれるな。目障りだ、すぐにでもこの場から立ち去るがいい。…次に会う時は、お前の刃が完成されたものとなった時だ」
「ギゼル様…」
 青年は知っている。この男はここで全てを終わらせる気なのだと。
 英雄に立ちはだかる最後の壁となり、一つの歴史を終わりへと導く悪王となるのだと。
 「次」などもうない。それが分かっていてなおもそう告げる彼は何を思うのか。
「ギゼル様、僕の体はもう死人同然です。刃となる以外僕に生きる道はないのです。最後までお側で仕えることをお許し下さい」
「くどいな。私にお前は必要ないと言っている。それにお前の主は私だけではないだろう。そんなにも刃としての死を誇りに思うのならば父の元へ行くがいい。大切な部下を失い、信頼していた唯一の肉親である私にまで裏切られ、今の父は酷く孤独であるだろう。…それでも、私はお前にそんな道を選んで欲しいなどとは思わないがね。お前をそう簡単に死なせてやるほど、私の中で母の死は軽くはない」

 死よりも主を失い生きることが苦痛とすら感じる青年にそう告げるのは彼の復讐か、それとも主としての情か。いや、もしかしたらその両方なのかもしれない。
 どれほど時が流れようと、自分に仕える青年が母を殺した仇であることに変わりはなく、けれど最も信頼していた部下でもあった。どこか不自然で、それでも確かな絆が二人の間にはあった。
「ドルフ」
 名前を呼ばれる。今までに聴いたことのない声音で。
「母を殺した頃に比べて、随分と背が伸びたな。私がお前に出会ったのは私が今のお前よりほんの少し幼い頃だったか。お前の刃が完成する頃にはお前は私の背丈すら越えているかもしれないな。何年先の話になるか分からないが、そんなお前の姿が見られるのを今から楽しみにしている」
 果たされない約束。それでも交わすのだ、「生きてまた会おう」と。
 それはまるで「生きて欲しい」という真摯な祈りのようだった。
「僕の刃が未熟でなくなった時、貴方はまた僕の力を必要として下さいますか?」
「そうだな。その時がくればお前は私の最高の部下となるだろうな」
「ありがとうございます。必ずや貴方に認めて頂けるくらい鋭い刃となって貴方の元へ帰ってきましょう。それまで…」
「待っていてやる。だから今は」
 お互いに背を向ける。振り返ることなどしない。
「さよならだ」
 最後の言葉を聞き終えた後ドルフは消えた。恐らくもう一人の主が待つ深い闇の中へと。
 その背中にもうかける言葉はなかった。伝えるべきことは全て伝えた。
 あとは彼が全て自分で決めるだけだ。どう生きるかは。
 もっとも、彼の生き方など想像に容易いものであったのだが。
 ギゼルは一度も振り返らずにその場を後にする。振り返ることなどもうしない。
 自分が見つめるのは前だけだ。全てを失い独りとなった今、見えるのは一つの歴史の終わりの姿。
 全てを終わりに導くために進む。ソルファレナの中心、太陽宮の玉座へ。
 まだ幼い女王が座る玉座へ近づくと、彼女は鋭い眼差しでギゼルを射抜いた。
「フン、逃げ出したかと思うておったわ」
「まさか。私は貴女の夫であり、女王騎士長ですからね。愛しい妻をお守りする役目を放棄して逃げるような真似などしませんよ」
「おのれは…本当に逃げはせぬのか? 兄上と闘こうてもおのれでは勝てはせん。逃げるのならば今のうちなのじゃぞ」
「義兄上と私、どちらが強いかなど闘ってみるまで分かりませんよ。私には愛しい妻がついておりますし」
「ふん、心にもないことを。おのれがわらわに関心がないことなどとうに分かっておったわ。おのれが本当にファレナの実権を握りたいのであったのなら無理矢理にでもわらわを犯して正統な後継者を作ったであろうからな。それをせぬ時点でおのれがわらわにも、そしてファレナの支配にすらも興味がないことなど分かっておったわ」

「流石は女王陛下ですね。やはり貴女は賢く聡明でいらっしゃる。先代女王陛下とサイアリーズ様も貴女のような人でしたよ。まあ、それは私などより貴女の方が余程ご存知かと思いますが。きっと貴女は名君になられるでしょうね、先代女王陛下以上に」
「……おのれの目的はなんじゃ? 何故ゆえここに残る。何故おのれの父のように逃げはせぬのじゃ?」
「貴女の夫として、女王騎士長として、そして内乱を起こした逆賊ゴドウィン家の跡取りとしての責任と義務が私にはあるからですよ。私も私なりにこの国の未来を憂えていた。義兄上とは違う方法ではありましたがね。それが正しかったとは言いませんが、だからといって逃げるわけにはいかないのです。ここで逃げれば私は民だけでなく自分の生きてきた道や志すら裏切ってしまうことになる」
「…何故、正しいやり方を選べぬかった? おのれならば、兄上と力を合わせることもできたやもしれぬのに…」
「正しいやり方を選べるほど綺麗ではなかったのです、私の歩んできた道も、この太陽宮も。沢山の…本当に沢山のものを失って、多くの血を流して……幼い私には先代女王陛下やサイアリーズ様のように生きることなどできはしなかった。正しい道を選ぶには失ったものが多すぎた。女王陛下、私は貴女と義兄上が憎かったのかもしれません。何も知らず大事に育てられ、幸せだった貴女達が。幼くして母を失くし、愛する者さえ奪われねばならなかった私には抱きしめてくれる人間さえもいなかった」
「―……」
 リムスレーアはギゼルの言葉に黙り込んだ。先々代女王の継承権争い。彼女はそれを記録でしか知らなかったし、知識としてある程度であった。
 けれど、理解できない感情ではなかった。父と母が殺された時、自分はこの男が死んでしまえばいいと思ったのだから。彼もまたその時の自分と同じであったのだ。
「おのれは不幸じゃな…。わらわにはミアキスがおった。兄上もおった。何故おのれを支えてやれる人間がおらなかったのか…。わらわがおのれの側におったのなら、ミアキスのように抱きしめてやれたというのに…」
「陛下は慈悲深いお方ですね。私にそれと同じ事を言ってくれた人がいました。けれど、彼女ももうこの世界にはいない。この戦でその命を散らしました。…誰だか分かりますか、貴女と同じように優しい心を持ったその女性が」
「…まさか……」
 リムスレーアが言葉を続けようとした瞬間扉の奥で大きな音が鳴った。彼女の兄がここに近づいているのかもしれない。
「陛下、最後にもう一つだけ教えてさしあげましょう。私の貴女や義兄上に対する憎しみは恐らく憧れにも近かった。母を失い、絶望し、泣いてばかりいた私とは違い貴女や義兄上は涙一つ零さず、強くあり続けた。だからこそ義兄上と貴女が勝者となれたのでしょう。私には太陽の如きその強さが羨ましかった」
「わらわが強くあれたのは兄上やミアキスがいてくれたからじゃ。わらわは二人を信じておった。それは兄上も同じじゃろう。兄上にもリオンやゲオルグがおった。…それより、おのれは何故いまさらそのようなことを話す?」
「さあ? 強いて言うのなら、貴女ならば私と違いファレナを正しい道へと導いて下さると思えたからかもしれません。自分自身すら信用していなかった私とは違い、どれほど裏切られようとも最後まで人を信じ続けた貴女と義兄上ならばこの戦で散った命の重さも、途中で果てた想いも忘れずにいて下さるだろうと。それに、一時でも妻であった貴女とお話しするのもこれが最後かもしれませんから」

 ギゼルがそう言い終わった瞬間、玉座の間の扉が大きな音を立てて開いた。
 そこから入り込んでくるのは将来英雄として語り継がれる少年だ。
 彼と対峙する。全てを終わらせるために。
 ――策は、成った。
 これで自分が悪王として死ねば、全て終わる。一つの歴史は終わり、あるべき姿へと帰っていく。
 誰もが望んだ平和で幸せなファレナへと。
 もう悲劇は繰り返されない。親を亡くし涙を流す子供も、寂しさで気が狂う世界ももう生まれない。
 血で血を洗う争いから多くのものを奪われた彼女と自分の手で全てを終わらせる。
 目の前の英雄と自分の妻であった女性が、これから生まれる子供たちが幸せに暮らせる国を作れるように。
 ――貴女の、勝ちです。
 愛しい人の名が浮かぶ。その声が、笑顔が、温もりが、蘇る。
 その愛しささえも人は業と呼ぶのか。

 後に国を荒らした逆賊として語り継がれる彼は、真の紋章ですら動かすことができなかった想いを貫き、最期を迎える。
 その顔は、逆賊や悪王という言葉が似合わないほどに安らかなものであったという。
 彼がどんな想いを持っていたか、残された人間には何も分からなかった。
 歴史はただ事実を記すだけなのだから。
 それでも、新たな女王と英雄の胸に永遠に残り続けるのだ。
 形は違えど、この国の未来を憂えていた者たちの姿が。
 そして、最期まで人の業に囚われた悪王であろうとした男と、彼が全てを捧げるほどに愛した一人の女の存在が。
 彼らの望んだ平和なファレナの姿と共に。

―終―

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