ゲオルグ×ベルナデット・ミアキス 著者:12_436様

ほんの気まぐれだったのだ。
普段は城の中に戻り、明日の戦闘のための休息をとる時刻になっても、眠れずに城外を歩いていたのは。
薬によって狂った幽世の門の暗殺者を、今日は何時もより多く征伐したため、気が昂ぶっていたからだと言えばそうかもしれない。
何にせよ、夜の本拠地をあえて彷徨う特別な理由はナクラにはなかった。
気が落ち着いたら適当に戻る、そんな気紛れな散歩だった。

そんな時に会いたくない相手の姿を見つけてしまうなど、ひどい偶然だと彼は思う。

「……おい」
気配にはとうに気づいているのだろうと思いつつも、ナクラは月光の中に佇む娘に声をかけた。
かけてしまってから、彼は自らの過ちに気づいた。声などかけず、無視して通り過ぎてしまえばよかったのだ。
「……」
娘――サギリは、呼びかけに言葉を返すことはなく、ただ彼をいつもと変わらぬ表情で見つめるのみだった。
その表情が、何よりも彼を苛立たせるのだと、わかっていながらも直すことができずに。
「ガキが夜中にうろついてていいのか? 『家族のみなさん』が心配してんじゃねえのかよ。特に兄貴がな」
いつも彼女を取り巻く、どこか食えない男とおっとりとした女。
そしていつも彼に、目自体は見せないくせに、鋭いということだけはわかる視線を投げかけてくる青年。
そういった気に食わない彼女の『家族』の姿を思い浮かべながら、ナクラは毒づいた。
彼らの多くが、サギリとかつて立場を同じくしていたものだということも、彼がその『家族』を好意的に見れない理由でもある。
「ガキじゃない。私、22歳。……たぶん」
「……そういうことを言ってんじゃねえ」
苛立ちを言に潜ませながらも、ナクラはそれだけを返す。
たぶん、という言葉に彼女の置かれていた境遇の一端を感じながらも、それに触れたくなかった。

何も考えずに目の前の娘を憎めるのならば、どんなに楽だろうか。
彼女が、今彼に向けているものと同じ笑顔を貼りつけたまま、彼の父を殺したことは紛れもない事実であるというのに。
片時も忘れたことがないほど憎んでいたはずの、その笑顔の真相を知ってしまった今。
ただ、彼は迷っていた。迷いという一言で表すことができないほど、彼の心情は複雑ではあったのだが。

「……なんだよ。ジロジロ見んな、気味わりぃ」
そこまで言って、ナクラはしまった、と息を飲む。しかしすぐにそれは舌打ちへと変わる。
「ごめんなさい」
「いや……」
彼を見つめる人形のような眼も、彼女がそうなりたくてなったわけではないということも知ってしまった。
蔑むようなことを言ってしまってから失言だったと気づき、またそれを気に懸けてしまう自分をナクラは嫌悪する。
「今、やろうと思えば私を殺せるのに、やらないのね」
サギリがぽつりと呟く。ナクラはその言葉に眉をひそめた。
「……あんだ? 殺されてえなら望み通りにしてやってもいいんだぜ?」
サギリは先ほどと同じように微笑を浮かべたまま、答えない。
いつもと変わらないはずのその態度が何故か癪に障って、ナクラは彼女に詰め寄った。
どん、と壁に手をつき、彼女を上から睨む。大柄なナクラの体に、サギリはほぼ隠れるような形になった。
普通の娘ならば腰を抜かして恐怖に震えるところだが、サギリはやはり変わらぬ笑顔のまま彼を見上げていた。
「……っ、少しは! 怖がってみせるとかできねえのかよ!」
「……ごめんなさい」
「謝るんじゃねえ!」
自分が滅茶苦茶なことを言っているということは痛いほどわかる。それだけナクラは混乱していた。
サギリにどうしてほしいのか、彼女にどうなってほしいのかもわからずに、ただ苛立ちだけが彼の中に募る。
その苛立ちの中に、無理矢理にでも彼女の笑顔を歪ませたいという、嗜虐的な思いが存在するのをナクラは否定できなかった。
――貼りついたままの悲しい仮面を奪ってしまえたなら、躊躇いなくこの女を殺すことができるだろうか。
それは敵に関する全てを忘れて、非情な復讐者に戻りたいという願い、ある意味では逃げであった。

気がつけば、サギリの唇を奪っていた。噛み付くようだったそれは、次第に深く、甘いものになっていく。
(俺は、何をやっている)
頭の片隅で、冷静な自分が叫ぶ。
辺りが月光に照らされる中、物陰で小柄な娘に覆い被さり食らいつく自分は、弁解のしようもない外道だ。
復讐などやめろと彼を諭した弟は、こんな兄をきっと蔑むだろう。
いや、とうに遅いか。復讐を誓い、手を暗殺者の血で染めてしまった以上、もう自分はまっとうには生きられないのだ。
(それとこれとは、別だろう――)
擬似とはいえ家族に愛され、その中でやっと少女として、幸せに生きはじめた彼女を穢す権利が自分にあるのか?
――しかし、だからといって。父を殺した女がのうのうと生きるのを、傍観するのか?

「くそおっ!」
思考の混乱は怒りに変わり、その感情のままにナクラはサギリの衣服を引き裂いた。
ぴったりとした服で隠れていた、豊かといえる乳房。それが露わになってなお、彼女は表情を変えない。
ただ口付けの合間に小さく息を漏らすだけで、抵抗もしない。
(なんで、何もしねえんだよ!)
それがさらに怒りを加速させ、愛撫を荒々しいものにした。
「……っ」
乳首を強く摘みあげてやると、口を噤んでいたサギリから小さく声が漏れる。
それを小気味よく感じ、舌先で弄んでやると、しているかも疑わしかった息が、少し荒くなる。
だが、それだけだ。
ナクラが今まで抱いてきた女のように、喘ぎよがることも。
または暴漢から辱めを受ける少女のように、泣き叫ぶこともなく。
サギリはただ、何時もよりいくらか頬と体を桃色に染めながら、普段どおりの笑顔を浮かべるだけだった。
(……本当に俺は、何をやってんだ)
しなやかな脚を開かせ、晒された秘所に指を這わせる。
そこは、反応の薄さからは考えられないほど濡れそぼっていた。少しだけ指を入れてみると、それを待っていたかのように絡みつく。
心と体が別に動いているのだ。笑顔しか浮かべることのできない普段と同じように。
「ん……」
サギリがまた、小さく声を漏らす。
中を掻き回してやったり、元の目的どおりナクラ自身を侵入させてやったりすれば、もう少し反応が見れたのかもしれない。
だが――どれだけ無理矢理に声を出させようとも、その笑顔は貼りついたまま剥がれることはないのだろう。
(馬鹿か、俺は……)
それを認識した瞬間、ナクラは頭と体に渦巻いていた熱が、急激に冷めていくのを感じた。
男を扇情的に誘うその体も、サギリ自身の顔立ちも、欲望を促すに十分すぎるはずだというのに。
は、とひとつ息をつき、ナクラは秘所から指を離すと、押さえ込んでいた体を開放した。
「服、破っちまったから……隠しとけ」
生憎上着などは着ていなかったため、せめてもと腕に巻いた布をサギリに押し付ける。
「……いいの?」
「……人形を抱いて喜ぶ趣味はねえからな」
苦々しげに彼が呟くと、サギリはごめんなさい、と3度目の謝罪をした。
「だから、何でも謝んな。今のは……俺が悪いんだよ。それくらいわかんねえのかよ」
憮然とした表情でナクラが言う。サギリは相変わらずそれに笑顔で返す。
何時もと変わらないはずのそれが、少し困ったような笑顔に見えたのは気のせいだろうか。

「……幽世の門ってのは……こういう教育もやんのか」
「子供のときから……すこしずつ、仕込まれる。私はあまり、得意じゃなかったけど」
そうだろうな、とナクラも納得する。
容貌には恵まれているとはいえ、反応の薄い女を好んで抱きたがる人間もいまい。特殊な性癖を持つものなら別だが。
ただ、体自体にはその手の才能があったのだろう、とは少し触れただけのナクラでもわかった。
「……ある意味幸せだったのかもな」
「……なにが?」
サギリが首を傾げる。ナクラはなんでもない、と話題を打ち切った。
(殺しのためなら体も使えってか。それをあの笑顔と一緒に、子供のころから。……ふざけてやがるぜ)
普通に考えれば、幸せでもあるまい。あの有様では、好きな男と愛し合うことも難しい。
そこまで考えて、ナクラは思考を停止させた。
(俺はなんで、こいつの将来なんぞ心配してるんだ)
本当にどうかしている、と彼は大きく溜息をついた。

しばらくして、サギリは無事な部分の着衣を整えると、静かに立ち上がった。
ナクラは何も言わず、また見送ることもせず下を向いている。
「……さっき、殺されたいのかってあなたは言ったけど……やっぱり私、まだ死ねない」
サギリの呟きに、ナクラは俯いていた顔をあげた。
「あなたの顔を見てると、いつも……あなたのために死んであげるべきなのか、と思ってしまう。
 ……でも、私が奪った命は、あなたのお父さんのものだけじゃないから。
 その償いだけのために、私の命をあげることは……まだ、できない」
「……へ、そうかよ。いいぜ、俺もてめえは最後にしようと思ってたとこだからな」
「……そう。じゃあ、ちょうどよかった」
なんでもないことのようにサギリは言う。それが少し、ナクラには歯痒かった。
「俺に殺されるまで……誰にも殺されんじゃねえぞ」
ナクラの言葉に、サギリは静かに頷いた。

それから、少しばかり時が経ち。
王子ファルーシュと、彼の元に集まった宿星たちの手で、ファレナ女王国は平穏のときを迎えた。
ゴドウィン家は滅び、そしてそれに付き従う幽世の門は『表向き』完全に姿を消したのだった。
役目を終えた宿星たちは、それぞれの在るべき場所へと帰り、あるいは旅立ってゆく。

オボロが彼の目的のために去り、探偵事務所は少し寂しくなった。
――賑やかな居候が夜にこっそり住み着いているが、それは別として。
オボロとナクラの目指すところが同じであるということに、サギリは不安と、なぜか安心を覚えていた。
2人両方が、柵を捨てて自由になれるからかもしれない。ナクラのそれは、彼女を殺すことで完遂を迎えるのかもしれないが。
「ねえ、サギリちゃん」
「……なあに?」
「ナクラちゃん、あなたは最後に殺す、って言ったんですって?」
「うん」
「……んだと。ナクラの野郎、そんなことを」
フヨウとサギリの会話を耳聡く聞いたシグレが、不機嫌な声で呟く。
「でもねえ。そんなことできるかしらねえ、ナクラちゃんが」
「どうかなあ……」
ふと、あの夜の日にナクラに襲われかけた記憶が蘇る。
あの時彼が躊躇しなかったとしたら、彼はサギリをどうしただろうか。
もしかすると、あの時自分は彼に殺されていたし、自分もそれを受け入れていたかもしれない、とサギリは思う。
しかし彼は躊躇し、それどころか謝ってくれた。辱めようとしたのだから当然といえばそうだが、それとは別に自分は彼の親の敵だ。
辱められるどころか、どんな殺され方をされても仕方がない立場だというのに。
「……ナクラちゃんって、本当は優しい子だと思うのよねえ」
「……私もそう思う」
そう呟くと、サギリは笑顔を浮かべた。
彼女の顔を見たシグレは小さく唸り、顔を引きつらせた。
「あらあら。サギリちゃんがナクラちゃんのために『本当に』笑ったからって、いじけちゃって」
「ち、ちげーよ……!」
シグレがさらに機嫌を悪くするのを見て、フヨウはおかしそうに笑った。
(私たちが罪を償い終えるときは、きっとこない。それだけ私たちは人を殺しすぎた。
 でも、あの人は私が全てを終えるのを待ってくれるだろうか。……待ってくれない、気がする)
サギリは一人考える。
ナクラのことだ、彼女のことなど待たずに、きっと彼なりに彼女を許してしまう。そんな気がした。

(生きよう。許されても、許されなくても。……私は、逃げない)
そう、静かにサギリは誓った。

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